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日米雑誌とPodcast 3行まとめ

カズオ・イシグロ 日の名残り

あらすじ:
品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは短い旅に出た。イギリスの美しい田舎の風景の中で、彼の頭には様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン家での執事としての達成と挫折、女中頭のケントンへの淡い思い。過ぎ去りし思い出は輝きを増し、胸に去来する。

感想:
面白い小説だった。
しかもはっきりと面白かった理由を説明できるタイプの小説だ。

読んでいるときはいくつかモヤモヤしていたのに、
それらモヤモヤしていた箇所が、本の最後にあった解説文の、この小説の主人公は「信頼できない語り手」だ、という示唆によって氷解していくスリリングで痛快な瞬間。
小説を読むことの面白さが凝縮された経験だった。

「信頼できない語り手」については、最も人口に膾炙した例では恐らく、「ユージュアル・サスペクツ」でケビン・スペイシーが演じた容疑者が例としてあげられる。これは、本来、読者に対して、目にしたものを客観的事実として提示すべき語り手が、意識的に、時には無意識的に、虚偽のモノローグをしたり、大事なことを語らなかったりする(例えばこの小説では6日間の旅行中の日記の形式をとっているのに、恐らくスティーブンスが淡い恋心を寄せていたと思われる女中頭と再会した肝心の5日目が無い!!)ことで、物語の本筋とは別に読者の想像力に委ねた解釈の余地を与える手法のことである。
本小説で小説の本筋にある「2つの世界大戦をはさみ、長年に渡って英国外交で活躍してきた主人に仕えた執事の過日を振り返る」という物語を楽しみながらも同時に、私の頭には「なぜこの執事は父親に対する感情を示さないんだろう?この女中頭への頑なな態度は何故なんだろう?結果的にナチスに協力したダーリントン卿への思いはなぜここまで揺るがないんだろう?」という疑問が頭をもたげ、とりあえずこれが昔気質の執事というものなのだろう、と自分を半ば強引に納得させた。

しかし、巻末に記された翻訳者による解説で、「何故この執事は、モルトン村の村人と、ちょうどそのさなかだったはずのスエズ運河紛争について語らなかったのか、その記述が無いのか」と疑念を呈しているのを読み、更にそこで引用されていた、「現代小説の38のなぞ」という本を読んで、読中のモヤモヤは全て著者が意図した仕掛けであるいうことを理解した。
この現代小説の謎解き本では、「日の名残り」について、4ページほどが割かれており、著者がスティーブンスにスエズ運河について語らせなかった理由は、おおまかに2点あり、その2点に読者を着目させるためだと解説している。
まず1点目が、スエズ運河における当時のイギリス首相イーデンの失策が、スティーブンスとその主人ダーリントンが住まう古き良き世界に、最後の一撃を与えたという事実。
もう2点目が、第二次世界大戦時のダーリントン卿のドイツへの宥和政策は、当時は大失敗に終わったが、このスエズ運河紛争の時には逆にイーデン首相は強硬策で失敗してしまった、ということだ。
これら歴史の皮肉でしめされることは、スティーブンスに残されているのは、最後の章で見知らぬ男との会話で提示されたような、「日の名残り(Remain)」を愛おしむような黄昏時の幸福ではなく、残り物(Remain)としての「死体」でしか無い、という暗示だ。
そしてスティーブンスが「信頼できない語り手」であるという前提に立って、頭からこの小説を読み返してみると、他にも様々な読み方ができるということに気がつく。
ちょっと意地悪な見方かもしれないが、以下は、自分なりに「スティーブンスが供述していること」と「本当に起きたこと」はこれくらい違うかもしれない、ということを前提に自分なりにまとめたあらすじだ。

要するにこういうことだ。
スティーブンスの言いたいこと:
「私は英国執事。言葉少なで、仕事熱心。あまりに仕事熱心で、ご主人様が全勢力を傾ける国際会議を成功させることを優先し、父親の死に目に会えなかった。またその仕事に対しての頑なさにより長年、協力して仕事を高め合ってきた女中頭と対立することもお構いなし。しかも、ご主人様とそのお仲間の優越感を満足させるためなら、自分が道化になることも厭わない。そんな私の仕事ぶりを買ってくれる新しいアメリカ人のご主人様が、私をイギリスの美しい田園風景を巡る旅を提案してくれたが、良い機会だから女中頭に会ってみよう。ひょっとしたら彼女の不幸な結婚生活を救って上げることができるかもしれない。そしてその旅の中で自分の人生に最後に残された時間を充実して過ごすことができるかもしれない」

それに対し、著者がほのめかしていること:
「俺、スティーブンス。ぶっちゃけ狭い世界で親父も厳しくて、親子らしいふれあいもなかったし、最後くらいはと思って同じ職場に連れてきた。でも長年のお互いの不器用さ故に深まった溝は埋め難く、結局父親の死に目にも会えず。まあ逆に忙しかった、という自分への言い訳にはなった。自分を上のステージに引き上げてくれると思えて粉骨砕身仕えたご主人も、結局ナチスに騙され利用されたわけだ。その割には、ご主人のお仲間は結局庶民を馬鹿にしているし。そして何よりもあの女中頭だ。なんとなくこっちに気があるような素振りを見せるから、いつ思いを明らかにしてくるのかと、今か今かと待っていたら他の男と結婚するとか言い出して、でもその後の手紙でも結婚生活がうまくいっていなさそうなことをほのめかすから会いに行ってやったら、あんなことになるなんて。俺の人生何をやっているんだろうか」

このように、2度目に読んだ時には、1度目に読んだ時の感想や感じたことがグラグラする感覚を味わったが、それでもストレートに感動的な描写やセリフがあることがまた、この本を魅力的にしている。

最後に2つ、そのセリフを引用して、終わりたい。
1つ目は、いわゆる文化大革命時の下放運動的な啓蒙も兼ねて田舎で過ごしているインテリの社会主義者、カーライル医師が、その田舎の人々に飽き飽きしていることを告白した後でスティーブンスに言う、
「そっち側からは村の眺めが見事でしょう」(p300)というセリフ 。

もう1つは、スティーブンスが自分の人生の来し方行く末を見つめなおし、「世の中の仕組みは実は車輪の様に、一つの中心の周りを回っており、ダーリントン卿がその中心にいて、自分もその近くにはいた」という自負を明かしながらも、結局は
「私は選ばずに、信じたのです」 (p350)と告白する瞬間。

本当に味わい深いセリフだ。これらのセリフに出会っただけでもこの小説を読んだ価値があった。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)